本書は、大ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で
取り上げた「エンパシー」という言葉の概念を、著者自身が改めて語り直す・
問い直すものとなっています。
そもそも、「エンパシー」という言葉を耳にしたことはあるでしょうか?
欧米諸国では、もはや「古い」と言われるほど昔から当たり前のように使われて
きた言葉ですが、日本ではまだ馴染みのないものだと思われます。
近い響きの、「シンパシー」という言葉なら、聞いたことがあるかもしれません。
「シンパシーを覚える」など、多くの場合、「共感」という意味合いで使われる
単語です。
しかし、「エンパシー」と「シンパシー」は、似て非なるものです。
「エンパシー」は、決して「共感」ではありません。
大きな括り方になりますが、日本語では、「他者理解」という言葉が当てはまり
ます。
では、「他者理解」とは何か。「共感」とはどこが違うのか。
そして、それは必要なのか。
経済、科学、政治、文学、歴史など、多角的な視点から、それらは問われていき
ます。
また、本書では、「他者の靴を履く」以前に、「自分の靴を履く」ことの大切さ
も論じています。
著者が述べる「エンパシー」は、「アナーキー(=支配を否定し、個人を生きる
こと)」が前提です。
自分がなければ、他者を相対化することはできません。
まずは、「みんなが」と大きな主語を使うのではなく、「わたし」の考えとして
意見を述べることが必要だと言えます。
著者自身、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は子ども向けに
書いた本であり、こちらは大人のために書いた、と語っています。
「大人のための続編」とも言える本書は、確かに、読み手の読解力や知識量を
前提に書かれており、手強さを感じる方もいるかもしれません。
しかし、この多様性社会を支える大人だからこそ、「大人として」読みこなす
べき一冊だとも言えるでしょう。
著 者:ブレイディみかこ
出版社:文藝春秋