『大家さんと僕』 で、一躍売れっ子漫画家の仲間入りをされた、矢部太郎さんの新作
です。
著者の太郎さんは、5カ国語を操り、クイズ王にも輝き、気象予報士の資格も持ち、
味のある役柄で俳優業もこなす、一介の芸人の枠に納まり切らない、今や八面六臂の
活躍をされているマルチタレントです。
そんな押しも押されぬ人気者になりながらも、太郎さんからは驕った様子が少しも
感じられません。寧ろ、売れれば売れるほど、腰が低くなってきているかのような
印象さえ見受けられます。
正しく、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」 を地で行くような人だと思っております。
そのようなパーソナリティがどのように形成されていったのか、以前より太郎さんに
は興味を持っていましたが、この本を読んでみて「ああ、なるほどなぁ~」と、胸に
すとんと来るものがありました。
この本は、そのタイトル通り、少年だった頃の著者とお父さんとの思い出話が主に
なっています。
太郎少年のお父さんは、絵本と紙芝居を描く仕事をしていて、他の友達のお父さんの
ように会社には行きません。
勤めに出ているお母さんに代わって、家事をこなし、仕事の絵は描かずに家族の色ん
な出来事ばかりを描いています。
車ではなく三輪車に乗り、流れるプールでは迷子になってしまうお父さん。
太郎少年の友達と一緒になって遊ぶお父さん。
そんなエキセントリックな父親の事を、太郎少年は不思議に、時には恥ずかしく、嫌
だとさえ思ってしまいます。
「なぜそうなのか?」と、お父さんに尋ねてみても、雲を掴むような返答で、いつも
肩透かしを食らってしまいますが、その会話の中にこそ、後の矢部太郎さんを形作る、
キラキラと輝く大切な言葉が散りばめられているように思われました。
太郎少年とお父さんとのたわいのない言葉を繋ぎ合わせていく事で、かけがえのない
日常の思い出が形となって現れたのがこの本です。
実家から送られてきた太郎少年とそのお姉ちゃんの成長を絵日記で綴ったノートには、
ビデオや写真では決して撮れない、その時のお父さんやお母さんの心情がありありと
描かれていて、お父さんを支えてきたお母さんの覚悟と愛情にも胸を打たれました。
太郎少年の家は貧しかったかもしれませんが、慎ましい生活の中で本当の意味での豊
かさを与えられていたのだなと感じました。
最後にお父さんのノートの一節の
「この子を見て、初めて人間が好きになった。
このノートは自画像なんだ。
僕が育てられています。」
という言葉から、今の矢部太郎さんが滲み出てきているような気がしました。
著 者:矢部太郎
出版社:新潮社